「お金を使うこと」への罪悪感を手放す。浪費と投資の境界線はどこにある?

「お金を使うこと」への罪悪感を手放す。浪費と投資の境界線はどこにある?

こんにちは、まりかです。

昨日の記事では「正解という呪い」についてお話ししましたが、
今日はもう一つ、私たちが無意識に抱えがちな
「罪悪感」について考えてみたいと思います。

それは「お金を使うこと」への罪悪感です。

せっかく欲しかったものを買ったのに、
レジを通した瞬間に「あぁ、またお金を使ってしまった……」
そんな風に、胸の奥が少しチリッとする。

通帳の数字が減るたびに、
自分の価値まで少しずつ減っていくような、言いようのない不安。

そんな経験はありませんか?

私たちはいつの間にか、
「お金を貯めること=正しいこと」
「お金を使うこと=自分を甘やかす、悪いこと」という価値観に
縛られているのかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか。


「浪費」と「投資」を分けるのは、金額ではない

よく「浪費はダメだけど、自己投資ならいい」と言われます。
じゃあ、その境界線は一体どこにあるのでしょう。

例えば、一杯800円の少し贅沢なカフェラテ。
もしあなたが「喉が渇いたからなんとなく」とか
「行列に並んでいるから仕方なく」買ったなら、
それは一時の喉を潤すだけの「消費」、
心の隙間を埋めるための「浪費」に近いかもしれません。

だけど、その一杯を飲みながら
「この香りで心が整う」
「この時間があるから、また明日から頑張れる」
そんな風に自分の心にポジティブな変化が起きているなら、
それは立派な「投資」です。

逆に、どれほど高額な資格試験の勉強やセミナーに
10万円を払ったとしても、
それが「周りがやっているから」
「将来が不安だから」っていう消去法的な理由であれば、
それは不安を埋めるための「浪費」になってしまいます。

つまり、浪費と投資の境界線は、
払った「金額」じゃなくて、それを受け取った時の
「自分の心の状態」にあるのだと私は思います。


お金は「エネルギー」の交換チケット

私には右手がありません。
その分、生活を便利にする道具だったり、
誰かの手を借りるサービスには積極的にお金を使ってきました。

昔の私は、人に頼んだり、
便利なガジェットを買ったりすることに
「自分でやればタダなのに」「贅沢なんじゃないか」と
罪悪感を感じていた時期もありました。

でも、気づいたんです。
お金は、私の代わりに働いてくれる
「エネルギー」の形を変えたものなんだって。

お金を使うことで、私に「時間」や「心のゆとり」が生まれる。
そのゆとりを使って、大好きな人たちと笑い、
また新しい言葉を紡ぐことができる。

そう考えると、お金を払うことは、
決して「マイナス」ではなく、
「より良い循環を生み出すためのバトンタッチ」に変わりました。

何かを買う時、「お金がなくなる」ことに注目するのをやめてみてください。
代わりに、「このお金が、私の人生にどんな景色を連れてきてくれるだろう?」と、受け取る価値に意識を向けてみる。

それだけで、レジで支払う時の指先の強張りが、
少しだけ緩むはずです。


あなたが心地いいなら、それは「正解」

昨日の話に戻りますが、
お金の使い方にも「唯一の正解」はありません。

100円のチョコレートで天国に行ける!って幸せを感じる人もいれば、
高級ホテルに泊まっても心が満たされない人もいます。
誰かの価値観で「それは無駄遣いだよ」と言われたとしても、
あなたの心が「最高に幸せ!」と叫んでいるなら、それは最高の投資です。

大切なのは、通帳の数字を守ること以上に、
「自分の心の鮮度を保つこと」にお金を使えているかどうか。

「お金を使う=自分の人生を応援する」
そんな風に捉え直すことができたとき、
私たちは罪悪感という呪いから解放されるような気がします。


今日からできる、小さなレッスン

もし今日、コンビニで何かを買うなら、
支払う瞬間に心の中でこうつぶやいてみてください。

「素敵な時間をありがとう。いってらっしゃい!」

出したエネルギー(お金)が、また形を変えて、
あなたのもとへ豊かな経験として帰ってくることを信じて。

あなたの人生というキャンバスに、
今日はどんな「豊かさ」を描き入れますか?

誰かの決めた節約術に縛られるのではなく、
あなたが本当に心地いいと感じることに、
真っ直ぐにお金を使える自分でいたいですね。

明日も、あなたにとって優しい一日になりますように。

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