私には、右腕がない。肘から下がない。生まれたときから、ずっとそうだ。
長い間、それを隠して生きてきた。義手をつけて、バレないように。気づかれないように。普通であろうと、必死だった。
「普通」への執着
今思えば、あの頃の私は「普通」という言葉に縛られていた。
普通に見えること。普通に生活できること。普通の人と同じように見られること。それだけを考えて、毎日を送っていた。
義手をつけている間、常に気を張っていた。
袖の長さ、動き方、人との距離感。バレないように、気づかれないように。それが当たり前になりすぎて、自分でも気づかないうちに、ものすごいエネルギーを使っていた。
隠すことが、日常になっていた。
立ち止まった時期のこと
ある時期、仕事も生活も、全部が行き詰まった気がした。
このまま生きていって、どうなるんだろう。何のために働いているんだろう。自分は何がしたいんだろう。そういう問いが、頭の中をぐるぐると回っていた。
答えは出なかった。でも、立ち止まらざるを得なかった。今までのペースで走り続けることが、できなくなっていた。
そんな時期に、一つの動画が目に入った。
画面の中の、その人のこと
YouTubeで、一人の男性を見た。
義足の人だった。でも、隠していなかった。義足であることを、当たり前のこととして生きていた。生き方が、自由で、かっこよかった。
画面を見ながら、何かがほどけていくような感覚があった。
隠さなくていいんだ。そのままでいいんだ。
頭でわかっていたことが、初めて腑に落ちた瞬間だった。あの人の姿を見て、初めてそれがリアルなものとして届いた。
自分に嘘をついていた
その動画を見て、気づいた。
ずっと隠して生きていくことは、自分に蓋をすることだ。
自分に嘘をつき続けることだ。
義手をつけて「普通」に見せることに必死になっていたあの頃、私は自分のことを守っているつもりだった。でも本当は、自分を消そうとしていた。自分の一部を、なかったことにしようとしていた。
それに気づいた瞬間、すごく悲しくなった。そして、少し、楽になった。
隠すのをやめようと思った。
蓋をやめた先に
蓋をやめてから、不思議と毎日が軽くなった。
義手をつけなくなった。人の目が気になる日もある。今でも。でも、それよりも、自分のままでいることの方が大事だと思えるようになった。
SUNNY & GOというブランドを始めたのも、この延長線上にある。遊ぶように生きる、というコンセプトも、自分に蓋をするのをやめたことから生まれた。
完璧じゃなくていい。普通じゃなくていい。自分の気が向く方へ、そのままの自分で進んでみる。それがこのブランドの、一番最初にある気持ちです。
あなたも、何かに蓋をしていませんか。
その蓋、少しだけ開けてみてもいいかもしれない。
SUNNY & GO / Live like it's play.