文句を言う人が、苦手。
でも正直に言うと、昔の私もその一人だった。
会社員だった頃、職場への不満をこぼしていたら、先輩にこう言われたことがあって。
「自分で選んだ会社でしょう?」
その一言に、ぐうの音も出なかった。
反論しようとしたけれど、言葉が出てこない。そうだ、誰かに強制されたわけじゃない。自分の意志でここを選んだ。その事実が、するりと胸に落ちた瞬間だった。
それから、文句を言う回数が激減した。
文句、グチはゼロにはならないけど、「また文句を言いそうだ」と気づいた瞬間、あの先輩の声が頭をよぎるようになった。
文句の正体を、考えてみた。
なぜ人は文句を言うのか。
怒っているから?不満があるから?それも一つの答えだけど、もっと根っこを掘り下げると、こう思う。
安心したいから。
文句を言うことで、自分は悪くないと確認できる。
状況のせいにすることで、心が少し楽になる。
「私が悪いんじゃない、環境が悪い」——そう思えたら、一瞬だけ安堵できる。
でも、それだけじゃない。文句の裏には、もう一つの構造がある。
自主性の欠如。
文句を言っている人は、たいてい「誰かがなんとかしてくれるはず」と思っている。
会社が変わってくれるはず。
上司が気づいてくれるはず。
社会が動いてくれるはず。
自分は客席に座ったまま、舞台の演出に文句をつけている。でも、舞台に上がる気はない。
これを私は「お客さま思考」と呼んでいる。
偏見も、お客さま思考では変わらない。
私は生まれつき右腕がない。そのことを発信しているのは、世の中から障害への偏見をなくしたいから。
だって「偏見がなくなったらいいな」と祈っているだけでは、何も変わらない。「社会が変わってくれたらいいな」と願い続けることは、舞台の演出に文句をつけながら客席を離れない人と、構造的にまったく同じだ。
変えたいなら、動くしかない。
自分が発信し、自分の存在を見せ続け、自分がその変化の起点になるしかない。
誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分がその「誰か」になること。
偏見と闘う最も静かで、最も強い方法は、自分の人生を丁寧に、堂々と生きることだと思っている。文句ではなく、存在で、語る。
お客さま思考から抜け出す唯一の方法。
お客さま思考の反対は、当事者思考。
自分でなんとかする、という前提で動くこと。環境を変える力が自分にあると信じること。それが難しいなら、その環境を去る選択肢を持つこと。
先輩の「自分で選んだ会社でしょう?」という言葉が刺さったのは、選んだ責任を突きつけられたから。とともに、「選んだ」ということは、「変える」力も自分にあるということ。
文句を言うエネルギーを、どこに向けるかだけの話だ。
嘆くために使うか、動くために使うか。
最後に。
文句を言う人を責めたいわけじゃない。その気持ちは、私にもよくわかる。安心したいし、誰かにわかってほしい。それは人間として自然な感情だ。
ただ、文句は現実を何も変えない。変えるのは、いつも行動だけ。
お客さま席を降りて、舞台に上がることを選ぶ。文句ではなく、存在で語ることを選ぶ。
それが、遊ぶように生きることに繋がったら。