私が古着を愛する理由。

私が古着を愛する理由。

私は新品の服はほとんど買わない。
ときめいたら、買うけれど。

「それ、どこの服?」 そう聞かれるたびに、
私の胸の奥で、小さく静かな高鳴りが生まれる。


誰かの「正解」を着こなすつもりはない。

今の世界は、あまりにも「正解」で溢れかえっている。

トレンドの移り変わりに合わせて、綺麗に、効率よく、失敗しないようにパッケージングされた既製品たち。誰もが損をしないために、似たような「らしさ」を買い、似たような「ちゃんとした大人」の仮面を被って、街を歩いている。

タイパや効率、万人受け。そんな他人のルールで作られたレースの中にいると、自分の心の輪郭がどんどん薄くなっていくような気がしてしまう。

だから、私は古着が好き。昔から好き。

 

誰かが歩いた記憶が、 時を経て、私の「新しさ」になる。

古着のラックをめくる時間は、買い物の効率化とは真逆にある「壮大な宝探し」の時間。何時間探しても、何も見つからない日もある。だけど、ふとした瞬間に、時空を超えて私の直感とバチっと目が合う一着に出会うことがある。
服の発するオーラが私の目に飛び込んでくる瞬間がある。

それは、ヨーロッパのどこかの街で誰かが大切に着ていたかもしれない、風合いの育ったシャツ。インドの職人がかつて手仕事で施した、少し歪な刺繍のジャケット。

大量生産のハンガーに並ぶ「誰にでも似合う100点」はいらない。私は、世界にたった一枚しか存在しない「私にしか響かない1着」を見つけ出したい。古着を選ぶことは、誰かの作った正解から、鮮やかに、遊ぶように脱走する行為だと思っている。

 

いびつさ(傷)こそが、愛おしい。

古着には、傷がある。少し擦り切れた袖口、色が薄くなったデニム、ボタンの掛け替えの跡。

完璧主義な大人は、それを「欠陥」と呼ぶかもしれない。だれど、SUNNY & GOが大切にしているのは、その傷さえも美しさに変えてしまう「wabi-sabi(わびさび)」の精神だ。

完璧なものなんて、 つまらない。

かつて誰かが刻んだ生活の跡、時間の経過という「不可抗力のデザイン」。それがあるからこそ、服に圧倒的な「体温」と「物語」が宿る。それは、傷があるからこそ唯一無二の輝きを放つ、シルバーリングの歪さにどこか似ている。

完璧じゃないから、愛おしい。 その視点を持つことは、そのまま「不器用で、グレーな感情を抱えた今の自分」をまるごと許し、肯定することに直結している。

古着のクローゼットを開けるたび、服たちが私に囁く気がする。「そのままでいいんだよ」と。


過去の鎧を脱いで、今の私を書き換える。

面白いのは、古着は「古着だけで完結しない」ということだ。

何十年も前のヴィンテージのブラウスに、SUNNY & GOの、風をはらむインド綿のワンピースをレイヤードしてみる。耳元には、タイの山奥で出会ったシルバーを光らせて、仕上げに、甘さを削ぎ落とした大人のレモンティーの香水を、耳の後ろに一吹き忍ばせる。

VINTAGE × NEW ME

過去の物語と、今の私のエッセンスが重なり合ったとき、そこには誰も真似できない「新しい私の質感」が完成する。

ないものは、自分で上書きすればいい。 自分の機嫌は、自分で選んだ装いで取り戻せばいい。

古着を愛する人は、人生というゲームのルールを自分で書き換える、最高のプレイヤーなのだ。

 

古着の取り扱いをスタートしました。

https://sunnyandgo.jp/collections/vintage

NEW ME. NEW LIFE. SUNNY & GO Philosophy Journal

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