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New Me, New Life.
心の嘘発見器の使い方。
「羨ましい」と思ったことがある。 好きなことで生きている人。 自分らしく堂々としている人。 やりたいことに向かって動いている人。 そういう人を見たとき、心のどこかがざわつく。素直に「すごいな」と思える時もある。でも時々、そのざわつきが「批判」に変わることがある。 「あの人は特別だから」 「どうせうまくいかない」 「私には無理」。 そう思った瞬間、少し立ち止まってほしい。それ、本当にそう思ってる? 羨ましいは、本音のサイン 羨ましい、妬ましい、嫉妬する。 そういう感情が出てきたとき、たいていの人は自分を責める。こんなことを思うなんて、器が小さい。人の幸せを喜べないなんて、ダメな人間だ。 でも、私は逆だと思っている。 羨ましいという感情は、自分の本音を教えてくれる嘘発見器だ。あの人みたいになりたい。ああいう生き方がしたい。本当はそう思っているのに、行動するのが怖くて、できない理由を探して、批判という形で出てきているだけ。 羨ましいという感情が出てきたとき、それは「あなたもそうなりたいんじゃないの?」という、自分の心からのサインだ。 批判の正体 「あの人は特別だから」と思うとき、本当は何を思っているか。 私もああなりたい。でも、なれないかもしれない。失敗したら恥ずかしい。だから、最初からできない理由を並べておく。批判しておけば、挑戦しなくていい。傷つかなくていい。 批判は、自分を守るための鎧だ。 でも、その鎧を着続けていると、本音がどんどん見えなくなっていく。本当はなりたい未来があるのに、「なれない」という思い込みの中に埋もれていく。 嘘発見器の使い方 じゃあどうすればいいか。 羨ましいという感情が出てきたとき、批判に変える前に、一度だけ自分に問いかけてみてほしい。 「私も、これがしたいんじゃないか?」...
心の嘘発見器の使い方。
「羨ましい」と思ったことがある。 好きなことで生きている人。 自分らしく堂々としている人。 やりたいことに向かって動いている人。 そういう人を見たとき、心のどこかがざわつく。素直に「すごいな」と思える時もある。でも時々、そのざわつきが「批判」に変わることがある。 「あの人は特別だから」 「どうせうまくいかない」 「私には無理」。 そう思った瞬間、少し立ち止まってほしい。それ、本当にそう思ってる? 羨ましいは、本音のサイン 羨ましい、妬ましい、嫉妬する。 そういう感情が出てきたとき、たいていの人は自分を責める。こんなことを思うなんて、器が小さい。人の幸せを喜べないなんて、ダメな人間だ。 でも、私は逆だと思っている。 羨ましいという感情は、自分の本音を教えてくれる嘘発見器だ。あの人みたいになりたい。ああいう生き方がしたい。本当はそう思っているのに、行動するのが怖くて、できない理由を探して、批判という形で出てきているだけ。 羨ましいという感情が出てきたとき、それは「あなたもそうなりたいんじゃないの?」という、自分の心からのサインだ。 批判の正体 「あの人は特別だから」と思うとき、本当は何を思っているか。 私もああなりたい。でも、なれないかもしれない。失敗したら恥ずかしい。だから、最初からできない理由を並べておく。批判しておけば、挑戦しなくていい。傷つかなくていい。 批判は、自分を守るための鎧だ。 でも、その鎧を着続けていると、本音がどんどん見えなくなっていく。本当はなりたい未来があるのに、「なれない」という思い込みの中に埋もれていく。 嘘発見器の使い方 じゃあどうすればいいか。 羨ましいという感情が出てきたとき、批判に変える前に、一度だけ自分に問いかけてみてほしい。 「私も、これがしたいんじゃないか?」...
「普通」でいることに、必死だった。
私には、右腕がない。肘から下がない。生まれたときから、ずっとそうだ。 長い間、それを隠して生きてきた。義手をつけて、バレないように。気づかれないように。普通であろうと、必死だった。 「普通」への執着 今思えば、あの頃の私は「普通」という言葉に縛られていた。 普通に見えること。普通に生活できること。普通の人と同じように見られること。それだけを考えて、毎日を送っていた。 義手をつけている間、常に気を張っていた。袖の長さ、動き方、人との距離感。バレないように、気づかれないように。それが当たり前になりすぎて、自分でも気づかないうちに、ものすごいエネルギーを使っていた。 隠すことが、日常になっていた。 立ち止まった時期のこと ある時期、仕事も生活も、全部が行き詰まった気がした。 このまま生きていって、どうなるんだろう。何のために働いているんだろう。自分は何がしたいんだろう。そういう問いが、頭の中をぐるぐると回っていた。 答えは出なかった。でも、立ち止まらざるを得なかった。今までのペースで走り続けることが、できなくなっていた。 そんな時期に、一つの動画が目に入った。 画面の中の、その人のこと YouTubeで、一人の男性を見た。 義足の人だった。でも、隠していなかった。義足であることを、当たり前のこととして生きていた。生き方が、自由で、かっこよかった。 画面を見ながら、何かがほどけていくような感覚があった。 隠さなくていいんだ。そのままでいいんだ。 頭でわかっていたことが、初めて腑に落ちた瞬間だった。あの人の姿を見て、初めてそれがリアルなものとして届いた。 自分に嘘をついていた その動画を見て、気づいた。 ずっと隠して生きていくことは、自分に蓋をすることだ。自分に嘘をつき続けることだ。 義手をつけて「普通」に見せることに必死になっていたあの頃、私は自分のことを守っているつもりだった。でも本当は、自分を消そうとしていた。自分の一部を、なかったことにしようとしていた。 それに気づいた瞬間、すごく悲しくなった。そして、少し、楽になった。...
「普通」でいることに、必死だった。
私には、右腕がない。肘から下がない。生まれたときから、ずっとそうだ。 長い間、それを隠して生きてきた。義手をつけて、バレないように。気づかれないように。普通であろうと、必死だった。 「普通」への執着 今思えば、あの頃の私は「普通」という言葉に縛られていた。 普通に見えること。普通に生活できること。普通の人と同じように見られること。それだけを考えて、毎日を送っていた。 義手をつけている間、常に気を張っていた。袖の長さ、動き方、人との距離感。バレないように、気づかれないように。それが当たり前になりすぎて、自分でも気づかないうちに、ものすごいエネルギーを使っていた。 隠すことが、日常になっていた。 立ち止まった時期のこと ある時期、仕事も生活も、全部が行き詰まった気がした。 このまま生きていって、どうなるんだろう。何のために働いているんだろう。自分は何がしたいんだろう。そういう問いが、頭の中をぐるぐると回っていた。 答えは出なかった。でも、立ち止まらざるを得なかった。今までのペースで走り続けることが、できなくなっていた。 そんな時期に、一つの動画が目に入った。 画面の中の、その人のこと YouTubeで、一人の男性を見た。 義足の人だった。でも、隠していなかった。義足であることを、当たり前のこととして生きていた。生き方が、自由で、かっこよかった。 画面を見ながら、何かがほどけていくような感覚があった。 隠さなくていいんだ。そのままでいいんだ。 頭でわかっていたことが、初めて腑に落ちた瞬間だった。あの人の姿を見て、初めてそれがリアルなものとして届いた。 自分に嘘をついていた その動画を見て、気づいた。 ずっと隠して生きていくことは、自分に蓋をすることだ。自分に嘘をつき続けることだ。 義手をつけて「普通」に見せることに必死になっていたあの頃、私は自分のことを守っているつもりだった。でも本当は、自分を消そうとしていた。自分の一部を、なかったことにしようとしていた。 それに気づいた瞬間、すごく悲しくなった。そして、少し、楽になった。...
一冊の森に迷い込む。|35歳からの、自分を取り戻す読書術。
私たちはいつから、これほどまでに「正解」を急ぐようになってしまったのでしょうか。 朝起きてから眠りにつく直前まで、指先ひとつで流れてくる膨大な情報の波。 「役立つスキル」「副業で7桁稼ぐ方法」「損をしない生き方」「誰かが決めた幸せのカタチ」。 それらを効率よく、タイパよく摂取することに必死で、気づけば自分の心の輪郭がぼやけてしまっている。 35歳。 「ちゃんとした大人」を演じるのに慣れてしまった私たちに必要なのは、新しい知識を詰め込むことではなく、一度、自分を縛っている何かを「ほどく」時間なのかもしれません。 それが、SUNNY & GOが提案する「読書」という趣味の正体です。 知識ではなく、共鳴を求めて ビジネス書を読んでスキルアップに励んだり、話題のベストセラーをチェックして会話のネタを作ったり。それも決して悪いことではありません。 でも、今のあなたに必要なのは、もっと「生身の感情」が揺さぶられる体験ではないでしょうか。 かつての私がそうであったように、誰かの期待に応えることに疲れた夜。 鏡に映る自分に違和感を覚えた時。 そんな時に開く一冊は、ハウツー本ではなく、言葉の一つひとつが肌に触れるような、体温のある物語がいい。 一ページ読み進めるごとに、蓋をしていた自分の感情が「ここにいてもいいんだよ」と許されていくような感覚。 読書とは、情報の摂取ではなく、自分の内側にある「声」との共鳴です。 完璧を捨てて、余白を楽しむ 大人の読書に、ルールはいりません。 一冊を最後まで読み切る義務も、内容を完璧に理解する義務も、どこかに置いてきてください。 たった一行、今の自分の心に突き刺さる言葉に出会えたなら、その読書はもう100点です。 その一行をきっかけに、本を閉じて、しばらく窓の外の夜景を眺める。 自分の過去の記憶や、これから選びたい未来に想いを馳せる。 その「本を読んでいない、空白」こそが、あなたを新しく書き換えるための大切な時間になります。 読書を「五感の体験」に昇華させる SUNNY &...
一冊の森に迷い込む。|35歳からの、自分を取り戻す読書術。
私たちはいつから、これほどまでに「正解」を急ぐようになってしまったのでしょうか。 朝起きてから眠りにつく直前まで、指先ひとつで流れてくる膨大な情報の波。 「役立つスキル」「副業で7桁稼ぐ方法」「損をしない生き方」「誰かが決めた幸せのカタチ」。 それらを効率よく、タイパよく摂取することに必死で、気づけば自分の心の輪郭がぼやけてしまっている。 35歳。 「ちゃんとした大人」を演じるのに慣れてしまった私たちに必要なのは、新しい知識を詰め込むことではなく、一度、自分を縛っている何かを「ほどく」時間なのかもしれません。 それが、SUNNY & GOが提案する「読書」という趣味の正体です。 知識ではなく、共鳴を求めて ビジネス書を読んでスキルアップに励んだり、話題のベストセラーをチェックして会話のネタを作ったり。それも決して悪いことではありません。 でも、今のあなたに必要なのは、もっと「生身の感情」が揺さぶられる体験ではないでしょうか。 かつての私がそうであったように、誰かの期待に応えることに疲れた夜。 鏡に映る自分に違和感を覚えた時。 そんな時に開く一冊は、ハウツー本ではなく、言葉の一つひとつが肌に触れるような、体温のある物語がいい。 一ページ読み進めるごとに、蓋をしていた自分の感情が「ここにいてもいいんだよ」と許されていくような感覚。 読書とは、情報の摂取ではなく、自分の内側にある「声」との共鳴です。 完璧を捨てて、余白を楽しむ 大人の読書に、ルールはいりません。 一冊を最後まで読み切る義務も、内容を完璧に理解する義務も、どこかに置いてきてください。 たった一行、今の自分の心に突き刺さる言葉に出会えたなら、その読書はもう100点です。 その一行をきっかけに、本を閉じて、しばらく窓の外の夜景を眺める。 自分の過去の記憶や、これから選びたい未来に想いを馳せる。 その「本を読んでいない、空白」こそが、あなたを新しく書き換えるための大切な時間になります。 読書を「五感の体験」に昇華させる SUNNY &...
パリで、日常を遊んできた。
3月の下旬、1週間パリに行ってきました。 日本を出る前から、なんとなく予感していたんですが。パリって、街そのものが主役なんだろうなと。エッフェル塔も凱旋門も見ました。もちろん、圧倒されたんだけど、正直一番心を奪われたのは、そういう観光地じゃありませんでした。 街並みと、街ゆく人のこと パリの街は、どこを歩いても絵になります。 石畳、古い建物、窓から垂れる布、路地の奥に見える光。カメラを向けるまでもなく、目に入るものが全部、どこかで見たことがあるような、でも初めて見るような景色で。 そして、街ゆく人がエレガントでした。 着飾っているわけじゃない。でも、みんな自分の軸を持って歩いているような感じがして。背筋が伸びていて、足取りが軽くて、周りの目を気にしていない。 ああ、自分らしくいるってこういうことか、と思ったりした。観光地で感動するより先に、ただ歩いている人たちに感動している私がいました。 毎日通ったパン屋のこと 滞在中、借りていた家の近くにパン屋がありました。 気づいたら、毎日通っていて。頼むのはいつもハムアンドチーズのパン。(結構なボリューム!)それだけ。 当たり前だけどメニューはフランス語で書いてあって、ショーケースの中のパンを注文するのに一苦労。店員さんのフランス語はなんとなく聞き取れるけど、数字は無理。 「レシートいる?」ってフランス語で聞かれて咄嗟に出るのは「Yes, please!」英語・・・(笑)後になって「Oui, s'il vous plaît」って言えば良かったんだよな〜と思いながら。店員さんが笑顔で対応してくれるのが、救いでしたね。 でも、その一苦労が、なんか好きでした。 うまくやれなくていい。完璧に聞き取れなくていい。それでも毎日通って、毎日同じものを頼んで、少しずつ慣れていく。その小さな積み重ねが、旅を旅じゃなくて、日常に変えていく気がしました。 1週間の滞在で、あのパン屋が「いつものパン屋」になっていくのがとっても嬉しかった。 テラス席の人たちのこと パリはカフェが多い。そして、テラス席が多い街です。 驚いたのは、その使われ方。テラス席に座っている人たちが、みんな熱心に話しているんです。スマホを見ているわけでも、ぼんやりしているわけでもなく、向かいの人と真剣に、楽しそうに、話している。 日本だと、カフェでそこまで熱心に話している人たちって、あまり見かけない気がします。みんなどこか、周りの目を気にしながら声のボリュームを調整している。 パリのテラス席には、そういう遠慮がなくって。自分たちの時間を、堂々と楽しんでいた。それがすごく、かっこよく思えました。...
パリで、日常を遊んできた。
3月の下旬、1週間パリに行ってきました。 日本を出る前から、なんとなく予感していたんですが。パリって、街そのものが主役なんだろうなと。エッフェル塔も凱旋門も見ました。もちろん、圧倒されたんだけど、正直一番心を奪われたのは、そういう観光地じゃありませんでした。 街並みと、街ゆく人のこと パリの街は、どこを歩いても絵になります。 石畳、古い建物、窓から垂れる布、路地の奥に見える光。カメラを向けるまでもなく、目に入るものが全部、どこかで見たことがあるような、でも初めて見るような景色で。 そして、街ゆく人がエレガントでした。 着飾っているわけじゃない。でも、みんな自分の軸を持って歩いているような感じがして。背筋が伸びていて、足取りが軽くて、周りの目を気にしていない。 ああ、自分らしくいるってこういうことか、と思ったりした。観光地で感動するより先に、ただ歩いている人たちに感動している私がいました。 毎日通ったパン屋のこと 滞在中、借りていた家の近くにパン屋がありました。 気づいたら、毎日通っていて。頼むのはいつもハムアンドチーズのパン。(結構なボリューム!)それだけ。 当たり前だけどメニューはフランス語で書いてあって、ショーケースの中のパンを注文するのに一苦労。店員さんのフランス語はなんとなく聞き取れるけど、数字は無理。 「レシートいる?」ってフランス語で聞かれて咄嗟に出るのは「Yes, please!」英語・・・(笑)後になって「Oui, s'il vous plaît」って言えば良かったんだよな〜と思いながら。店員さんが笑顔で対応してくれるのが、救いでしたね。 でも、その一苦労が、なんか好きでした。 うまくやれなくていい。完璧に聞き取れなくていい。それでも毎日通って、毎日同じものを頼んで、少しずつ慣れていく。その小さな積み重ねが、旅を旅じゃなくて、日常に変えていく気がしました。 1週間の滞在で、あのパン屋が「いつものパン屋」になっていくのがとっても嬉しかった。 テラス席の人たちのこと パリはカフェが多い。そして、テラス席が多い街です。 驚いたのは、その使われ方。テラス席に座っている人たちが、みんな熱心に話しているんです。スマホを見ているわけでも、ぼんやりしているわけでもなく、向かいの人と真剣に、楽しそうに、話している。 日本だと、カフェでそこまで熱心に話している人たちって、あまり見かけない気がします。みんなどこか、周りの目を気にしながら声のボリュームを調整している。 パリのテラス席には、そういう遠慮がなくって。自分たちの時間を、堂々と楽しんでいた。それがすごく、かっこよく思えました。...
フリーマーケットで、人の物語に触れた日。
先週末、幕張メッセのフリーマーケットへ行ってきました。 広い会場に、所狭しと並ぶお店たち。洋服、雑貨、食器、本、アクセサリー、ぬいぐるみ。ジャンルも価格帯もバラバラで、どこから見ていいかわからないくらい。でもそのカオスな感じが、なんか好きです。 買ったものの話 この日はワンピースとバッグを買いました。 ワンピースは、一目見て「これだ」と思ったやつ。 ちょっぴり高かったけど、即決。フリマって私はそういう買い方が多い気がします。 考える前に、体が動く。理屈じゃなくて、直感で選んでいる。 バッグも、出店者のお姉さんと少し話しながら買いました。 「これ、どこで手に入れたんですか?」って聞いたら、嬉しそうに教えてくれた。そういう会話が生まれるのも、フリマならではだと思う。このバッグ、ちょっとシャレが効いてていいでしょ。 お店で買うときって、基本的に商品としか向き合わない。でもフリマは、その物を良いと思って購入して、次の人に受け渡そうと売っている人が目の前にいる。その違いが、なんか大きい気がします。 人それぞれに、物語がある フリマに来るたびに思うことがあります。 出店している人たちが、みんな違う。 丁寧にディスプレイされた古着を並べる20代の女の子。段ボールにざっくり詰め込まれた雑貨を売るおじさん。子どもと一緒に来ていて、子どもが値段交渉を担当している家族。海外から来たのか、日本語があまり話せないけど笑顔で対応している人。 それぞれに、ここに来た理由がある。ステ活なのか、副業なのか、趣味なのか、生活のためなのか。並べているものを見ていると、その人がどんな暮らしをしてきたか、何が好きだったか、なんとなく伝わってくる気がする。 物には、持ち主の時間が染み込んでいますね。 大切に使われてきたことが伝わるものがある。反対に、一度も使われないまま手放されたことがわかるものもある。どちらにも、それぞれの事情があって、それぞれの物語がある。 選ぶことは、受け取ること フリマで買うとき、私はいつも少し考えます。 この服、前の持ち主はどんな人だったんだろう。どんな日に着ていたんだろう。どんな気持ちで手放したんだろう。 正解はわからないけど、想像するのが楽しい。そしてそれを私が受け取って、また着ていく。物がひとつの場所に留まらずに、人から人へ渡っていく。その流れの中に、自分が混ざっている感じがして、なんかいいなと思います。 遊ぶように生きるって、こういう感覚に近いかもしれません。決まったお店で、決まったものを買うだけじゃなくて。知らない場所に足を運んで、知らない人の物語に触れて、直感で何かを選んでみる。 その一日が、じわじわと自分の中に積み重なっていきます。 また行きます...
フリーマーケットで、人の物語に触れた日。
先週末、幕張メッセのフリーマーケットへ行ってきました。 広い会場に、所狭しと並ぶお店たち。洋服、雑貨、食器、本、アクセサリー、ぬいぐるみ。ジャンルも価格帯もバラバラで、どこから見ていいかわからないくらい。でもそのカオスな感じが、なんか好きです。 買ったものの話 この日はワンピースとバッグを買いました。 ワンピースは、一目見て「これだ」と思ったやつ。 ちょっぴり高かったけど、即決。フリマって私はそういう買い方が多い気がします。 考える前に、体が動く。理屈じゃなくて、直感で選んでいる。 バッグも、出店者のお姉さんと少し話しながら買いました。 「これ、どこで手に入れたんですか?」って聞いたら、嬉しそうに教えてくれた。そういう会話が生まれるのも、フリマならではだと思う。このバッグ、ちょっとシャレが効いてていいでしょ。 お店で買うときって、基本的に商品としか向き合わない。でもフリマは、その物を良いと思って購入して、次の人に受け渡そうと売っている人が目の前にいる。その違いが、なんか大きい気がします。 人それぞれに、物語がある フリマに来るたびに思うことがあります。 出店している人たちが、みんな違う。 丁寧にディスプレイされた古着を並べる20代の女の子。段ボールにざっくり詰め込まれた雑貨を売るおじさん。子どもと一緒に来ていて、子どもが値段交渉を担当している家族。海外から来たのか、日本語があまり話せないけど笑顔で対応している人。 それぞれに、ここに来た理由がある。ステ活なのか、副業なのか、趣味なのか、生活のためなのか。並べているものを見ていると、その人がどんな暮らしをしてきたか、何が好きだったか、なんとなく伝わってくる気がする。 物には、持ち主の時間が染み込んでいますね。 大切に使われてきたことが伝わるものがある。反対に、一度も使われないまま手放されたことがわかるものもある。どちらにも、それぞれの事情があって、それぞれの物語がある。 選ぶことは、受け取ること フリマで買うとき、私はいつも少し考えます。 この服、前の持ち主はどんな人だったんだろう。どんな日に着ていたんだろう。どんな気持ちで手放したんだろう。 正解はわからないけど、想像するのが楽しい。そしてそれを私が受け取って、また着ていく。物がひとつの場所に留まらずに、人から人へ渡っていく。その流れの中に、自分が混ざっている感じがして、なんかいいなと思います。 遊ぶように生きるって、こういう感覚に近いかもしれません。決まったお店で、決まったものを買うだけじゃなくて。知らない場所に足を運んで、知らない人の物語に触れて、直感で何かを選んでみる。 その一日が、じわじわと自分の中に積み重なっていきます。 また行きます...
自分を面白がると、人生が変わる。
自分ってつまらないな、と思ったことがある。 特技もない。取り柄もない。やりたいこともよくわからない。周りの人はみんな何か持っているのに、自分だけ何もない気がして、なんとなく毎日をやり過ごしていた。 でも今は、自分のことが結構面白いと思っている。何が変わったのか。「評価」するのをやめて、「観察」するようにしたことだと思う。 自分を「評価」することの罠 自分をつまらないと感じているとき、たいてい自分を評価している。 得意なことはあるか。人より優れているものはあるか。誰かに誇れるものはあるか。そういう基準で自分を見ると、たいていの人は「何もない」という結論になる。 でも考えてみてほしい。人を評価するために生きているわけじゃない。自分の人生を生きるために、生きている。 評価の軸で自分を見ることをやめた瞬間、少し楽になった。 「観察」に切り替えると何が変わるか 自分を観察するとは、こういうことだ。 なんでこの音楽を聴くと落ち着くんだろう。 なんであの人の言葉に惹かれるんだろう。 なんでこの作業をしているときだけ時間を忘れるんだろう。 なんで今日はやたら機嫌がいいんだろう。 良い悪いではなく、ただ観察する。自分を実験台にして、データを集めるような感覚。 これを続けていくと、少しずつ「自分のトリセツ」ができてくる。 自分のトリセツがわかると、何が変わるか 自分のトリセツがわかると、自分の機嫌を自分でとれるようになる。 気分が落ちているとき、何をすれば戻るかがわかる。やる気が出ないとき、どんな環境に行けばスイッチが入るかがわかる。どんな人といると元気になって、どんな状況で消耗するかがわかる。 自分の機嫌を自分でとれるようになると、毎日が驚くほど軽くなる。誰かに機嫌をとってもらう必要がなくなるから。 自分を面白がるとは、遊ぶように生きること 自分を面白がるとは、自分という人間を一つの面白いコンテンツとして楽しむことだと思う。...
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